NO.6    合氣道では、なぜ勝負をしないのか

K・SWJ通信 NO.6  2019.04.07 塾長 藤谷

~合氣道では、なぜ勝負をしないのか~

~合氣道では、なぜ攻撃をしないのか~

~合氣道の原理"合氣道の精神"の源の真理"分け御霊と大御霊"~

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1.合氣道では、なぜ勝負をしないのか

   合氣道は、他人に勝つための武道ではないからです。

 

2.合氣道では、なぜ攻撃をしないのか

     人は互いに「自他一体」の関係にあるからです。

   cf.「人類は皆兄弟」との違い

  「正当防衛」とは、攻撃してきた他人に対して、反撃しても良い、それによって

 攻撃者を傷付けたとしても、違法ではないとする、世界共通の法律的ルールです。

 これは、人間は、一人一人が、他人とは、切り離され、独立した存在であり、個人

 として尊重されるべきである、という人間観を土台にしているからです。

  しかし、合氣道では、たとえ適法ではあっても、他人を傷付ける正当防衛さえ、

 良しとはしません。

  合気道は、開祖盛平翁が、黄金体験の時に感得した、「攻撃をしてきた他人も自

 分も、大御霊の分け御霊て、互いに一体である(自他一体)という人間観

 、宙生命としての人間の真理(「分け御霊」の真理)を土台としています。

  開祖は、その真に基づいて、大御霊の愛を受けている、分け御霊としての自分

 は、同じ分け御霊としての攻撃者としての他人を愛するので、攻撃をして相手を傷

 つけるようなことは絶対にしないで、自分を護り、そして攻撃して来た他人を、ど

 のようにその真理を共有できる彼岸に導くか、そのための武道をゼロから生み出さ

 なければならなくなったのです。 

 

3.開祖盛平翁が"黄金体験"で覚った"分け御霊と大御霊"の真理

    開祖は、黄金体験の後に、「これまで身に着けたものを全部捨てて、ゼロからや

 り直さなればならなくなった」と仰った。

    「分け御霊の真理」を土台にして、勝負のための武道ではなく、分け御霊として

 の誠を貫き通すための武道を発明し創り上げなければならない、と悟られ、決意さ

 れたのです。 

 

4.「分け御霊の真理」から、合氣道の原理「合氣道の精神」へ

  開祖は、まず、分け御霊の真理」から「合氣道の武技」への橋渡しとして「合

 氣道の精神」という合氣道の原理を練り上げました。

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             開祖神示・合氣道の精神

   合氣とは愛なり。

  天地の心を以ってわが心とし、万有愛護の大精神を以って、自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。

  合氣とは、自己に打ち克ち、敵をして戦う心無からしむ、否、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり。

  而して、武技は天の理法を体に移し、霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。

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 合氣道の精神の原理的意味は次のようなものです。 

 ⑴ 合氣とは愛なり

   合氣の本質は、大御霊から受け取る愛、分け御霊として大御霊に対する誠で

  ある。

 ⑵ 天地の心をもってわが心とし

   私たちは、天地の心=大御神の心=大御霊によって愛されている。

   全てを愛するという大御霊と同じく、私たちも全てを愛そう。

 ⑶ 万有愛護の大精神をもって自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねば

  ならぬ

   大御霊に対する誠を貫き通すことが人間の使命、それを完遂することこそ武の

   道、

   そのような武を生み出す道こそ、合氣道、武産す合氣

   全てを愛するという万有愛護の大きな心をもって、大御霊に対する誠、他の分

   け御霊に対する愛を完遂すること(「自他一体」)を自分の使命、武の原理、方法

   としなければならない

   このような武道が合氣道である。

 ⑷ 合氣とは自己に打ち克ち

   私たちは、分け御霊であること、そして大御霊の愛を忘れて、攻撃をしてくる

  敵に対して反撃をしようとする動物的本能を持っている。

   しかし、私たちは、合氣道により、動物的本能に打ち克ち、分け御霊としての

  武道を行わなければならない。

 ⑸ 敵をして闘う心を無くする

   物理的攻撃に対する物理的反撃は、敵に更なる闘いの心と物理的再攻撃を産

  み、闘いの無限連鎖を生じる。

   敵を傷付けないで敵を制御すれば闘いの連鎖を断ち切ることが出来る。

 ⑹ 否、敵そのものを無くする、絶対的自己完成の道なり

   そればかりではなく、相手方を「互いに分け御霊同志である」という愛の大御

  霊の境地(自他一体)に導くことによって、相手を敵という存在ではなくすることが

  出来る。自らを鍛錬して、このような自他一体の境地に至るよう歩み続けなけれ

  ばならない。

 ⑺ 而して、武技は天の理法を体に移し

   だからこそ、合氣道の武技は、自他一体の理法を、私たちの体に移すものであ

  る。

   大御霊は、自他一体の理法を、「波動」により、私たち分け御霊に伝えて下さ

  っているので、私たちは、私たちの心身を、大御霊からの波動に共振できるよう

  に鍛錬しなければならない。

   波動は振動であり、振動は、「阿」から「吽」までの有声無声の呼吸により、

  丹田と人中路を幹として、手足の全体と心を一体として震わせ振動させられる状

  態にまで鍛錬することが肝要である。

   このことによって、大御霊の技が、分け御霊の心身に、「響き」、そして、自

  然とした体捌きが行えるように、鍛錬しなければならない。

   自他一体の天の理法を体に移すためには、次の3つの要素が必須である。

  ①「分け御霊」の真理と合氣道の原理「合氣道の精神」を身に着けること。

  ②自らの心身を大御霊の理法の響きの波動を体現できるように鍛錬すること。

  ③②の心身を用いて、「ゼロ化→崩し→導き」の三段階技法を習練すること

 ⑻ 霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である

   私たちの心身を自他一体の境地にまで鍛錬するには大変な努力が必要である

  が、それが私たち自身が地上天国を実現する使命の方法であるから、その道を弛

  まず歩き続けなければならない。

 

5.「分け御霊の真理」について

  下の「分御霊」としての個人という図を見てください。人は、天地の心=大御神

 の心=大御霊の一部分、すなわち「分け御霊」として生まれます。しかし、人間とし

 て発達するにつれて「自我」が芽生え、どんどん強く大きくなります。

  そして、それに伴って、分け御霊である自分と大御霊との絆(心身のパイプ)がどん

 どん細く弱くなり、終には離脱しそうになります。こうなってしまった人間は、自

 分の意にそぐわない他人を敵として攻撃の心を抱き物理的攻撃行動に出てしまいま

 す。

  このとき、もし私たち自身の分け御霊としての大御霊との絆が細く弱ってしまっ

 ていたら、私たちも相手と同じ土俵で正当防衛による物理的反撃をするしかありま

 せん。

  しかし、私たちが、「分け御霊の真理」と合氣道の原理「合氣道の精神」を理解

 し、大御霊の「自他一体の武の理法」の「響きの波動」に共振できる心身を鍛錬

 し、「ゼロ化→崩し→導き」の三段階技法の習練を行っていれば、万有愛護の大精

 神に基づく武の道を実現することができるのです。

  こんな素晴らしい自己完成の道、それが合氣道なのです。